憲法記念日なので日本国憲法について考える
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毎年やってくる祝日「憲法記念日」。
さすがに、これをタダのお休みで遊ぶ日と思うのは、小学生まででしょう。
特に今年は、世間もニュース報道もネット界隈も、結構盛り上がっているようですし。
さて、毎年思うのだけど、世の評論家や一部の憲法学者、ついでに世論を形成する声の大きな人たちって日本国憲法を読んだこと有るのだろうか?と。
(全文を咀嚼しながら読んでも精々1時間程度の量しかありませんし、さすがに短期粗製されただけあって、概念とは言え読むほどに「あ、コレはマズい!」と思う部分が出てくる事、請け合いです。^o^;)
感情論や理想論ではなく、客観的に厳然たる事実を示すと、こんな感じ。
・日本国憲法全文 [pdf]
・憲法は国を形作る理念と方針を示した概要設計書である。
・国民に対して権利を保障するとともに義務を課す。
・国の運営指針を示し、必要な条件を示す。
・俗に言う「権力者を縛るための法」などという陳腐なモノではない。
日本国憲法(作成米国、編纂日本、1世紀近く前に製造、以降アップデート無し)は英語では「Constitution Of Japan」と言うそうです。
まさに「日本の憲法」ですが、Constitutionは元々ConstantやConstructからの派生語なので、定款や規則、組織構造、体質といった構造的な意味合いから来ているようです。
どうも一部の人々や反政府的お祭り?が好きな人達は、条文をつまみ食いして国民をミスリードし、知ってか知らずか国民分断化工作の片棒を担いでいるように見えるんですケド。
そりゃ単純な話、侵攻の意思を持つ周辺国からすれば、侵攻を阻止されるような武力を持たれるのは面白くないですもんね。
なんかね~、アタシ個人の感覚としては改正反対派の、特に若い人?の街灯インタビューを見聞きしていると、「9条教」に入信させられた信者が、中身は知らないけど日本国憲法を聖典として崇め奉っているようで、何とも違和感があると言うか、気持ち悪いのです。
毎年論争のネタにされるのが以下の部分。
「憲法は権力者が暴走しないように縛るための法律である。」
そんな条文どこにもありません。
行政や国会に対しての決まり事は多々定義されていますが、縛るものではなく運用指針を決めているだけです。
もちろん憲法上の「主権は国民にある」という定義を、勝手に「主権者は総理大臣である」とは変えられない点では「縛りがある」とも言えますが、これも最終的には国民投票で決めることなので「縛り」とは言えませんね。
「憲法9条は戦争をしない『世界に誇る』平和憲法である。」
「憲法9条」という言葉だけが独り歩きしてるようですが、国家として戦争を放棄する理念は素晴らしいものだと思いますし残すべきです。
しかし現実的に、戦争の放棄と武力の不保持を(意図的に?)同一視した宣言となっている所に問題が隠れています。
「戦争をする国」と「戦争ができる国」が混同されています、
結局国家として武力を認めていないので国の「自衛隊」自体憲法違反となっています。
よく言われる「自衛のための・・・云々」なんて、何処にも出てきませんし、そもそも憲法上に自衛という概念はありません。
現在の憲法は、米国が全面的に安全保障条約で保護してくれることを前提としています。
必要に迫られて「自衛」と言う概念を創作し、「自分を守るためには必要だよね~」と解釈で条文を歪曲しているだけで、憲法上は武力の保持を禁止しています。
(だから同じ実力組織でも軍隊と呼べず、苦肉の策で自衛隊と呼ぶハメになり、国として交戦できないので自衛官個人の自衛のための武器使用は認めるけど、結果について隊員は一般刑法で裁かれるなど、歪でアチコチに齟齬や軋轢、意図的な錯誤を生んでますね。^^;)
前文を含め、世界中が性善説にあふれ、第二次世界大戦直後のまま、世界中が平和を希求している事を前提としているので、現実世界では既に発布直後から形骸化していました。
現行憲法は「日本が平和を望む限り」誰も日本の領土、領空、領海を侵犯せず、誰も日本の国体を脅かさず、誰も日本国民の権利を侵害しないハズだ!と言う他者に依存した希望的かつ自己中心的な考えを前提としています。
「憲法は国民の自由と権利を保障している。」
何故か誰も何条の規定か示さないどころか、義務については伝えないんですよね。
(第3章 第10条以降に「国民の権利と義務」が明確に示されています。)
国政選挙の投票について、一部マスコミでは「投票は国民の義務ですから是非投票に行きましょう」と言ってましたが、投票は国民の権利であって義務ではありません。
納税は国民の義務ですから、脱税や(税制のスキを突く)節税自体が国家運営の根幹を揺るがす憲法違反です。
同様に国民は働く権利を持っていますが、同時にこれは義務でもあるので、条文をそのまま読めばプータローや引きこもり、果ては年金生活も憲法違反行為になってしまいます。
(もちろん社会保障上、これら立憲上の不手際を埋めるため一般法で救済されています。)
上記のように憲法自体は国の概念設計書ですから、様々な穴や不合理、時代に合わない部分が拡大増殖しています。
そして古い設計の憲法をそのままに、穴を埋めるべく様々な法律や政令が生まれ、誰もが目にしたくないほど膨大で分厚い、まさに筋トレや凶器として使えるほどの六法全書が必要な事態に陥っています。
さて、皆さんが一言一句、後生大事に守ろうとしている日本国憲法、皆さん自身どれだけその理念を遵守してるんでしょうね?
憲法記念日前日の「政権の監視者」を標榜する某報道局が、護憲派重鎮の元国会議員にインタビューしてました。
「悲惨な戦争を顧みて、歴史に学び、憲法9条は守られなければならない」そうです。
人類の歴史を顧みると、そこから学べることは「歴史は有史以来、裏切りと侵略、イデオロギーの衝突で作られてきた」という事実なんですが。
過去どれだけの国や集落が、力を持たなかったがゆえに、侵略され搾取され滅亡して行った事か。
ほんの一世紀に満たない期間、一地方のさらに一国の歴史だけに注目して普遍化するってのは、いささか自己中で傲慢に過ぎるのでは?と思ったりします。
自分で「こんな事を云うと『お花畑』だと言われるが・・・」って、あたかも言論の被害者のような顔をしていましたが。
もう自分が絶対正義だと思い込んでいるか、「平和を語る自分ってカッコイイ」と自己陶酔に浸っているだけなのか、どっちなんでしょうね?
憲法はそもそも(当たり前ですが)変えることを前提に構成されています。
わざわざ変えるための規定も章を割いて存在しています。(第9章 改正)
内容そのままでも、現代の言葉で書き換えるだけで、国民の理解度が上がって効果は絶大だと思うのですが。
せっかく「憲法記念日」なんて祝日が有るのですから、何の責任も取らない評論家や言いたいだけのコメンテーター、自分の意見に都合のいいトコだけ誇張し、都合の悪いコトはダンマリの一部憲法学者、声が大きくて人の話を聞かない反対大好き人間に振り回されず、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えてみませんか?
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